Vol.24はイラストレーターで、バンドマンとしても活躍中のナカイシンヤさん(ex.THE EROTICS,出鱈目ギャング)のインタビューです。
アーティストとして活動を続けていくその在り方について語って頂きました。
半年ぶりの記事となりますが、今までと一味違ったインタビューとなりました。
是非楽しんでご覧ください。
インタビュー
~ブライアン・セッツアーのツアーグッズを自分がやるってなった時に、震えましたね~
―絵を始めたきっかけから教えて下さい。
とにかく勉強が嫌いだったんです(笑)。だから勉強せずに教科書に落書きをする。与謝野晶子の顔になんか落書きをする。
ただ、みんなは、与謝野晶子に落書きした結果、与謝野晶子じゃなくなってしまうんですよね。でも、俺は与謝野晶子を存分に残しながら、鼻毛一本で面白くする、そういうのが好きで。その鼻毛の向きとか太さとかで面白さがめちゃくちゃ変わってくるというか。わざとらしくない面白さというか。ただ、その元にあまり手を付けずに、その一本の線でどれだけ面白くするかを考えていました(笑)。
―イラストを描いていて、一番嬉しかったことはどんなことですか?
ブライアン・セッツアーのツアーグッズを自分がやるってなった時に、震えましたね。
以前、ブライアン・セッツアーが来日したライブに行って、物販でグッズを買う時に、そのデザインがCDのジャケットをそのままプリントしたものだったりすると、なんか自分は悲しくて。愛がないなって思ったんです。人によってはそのTシャツを何枚も買うじゃないですか。自分だったらもっといいものを作れるのになって思って、そこから始まりました。
実はその前に、ブライアン・セッツアーが50歳になる時に、あの人のロックによって自分は人生を楽しませてもらっているので、なにかしたいって思って、ブライアン・セッツアーのイラストを描いて送ったんです。
そうしたらその数時間後に、その絵がブライアン・セッツアーのオフィシャルサイトのトップページに載ったんです。それが3か月間、トップページを飾って。
そんなこともあったんで、「俺にやらせてくれ」って。
そこで、色んな思いも語って、それでTシャツだけじゃなくて、色々なグッズ展開をさせてもらいました。
買った人が「あ、これ着たいな」って喜んでもらいたいなと。
そうやって、そこからずっとやらせてもらっています。
―直接ブライアン・セッツアーともお会いしているんですよね。
そうなんです。本当に優しい人ですよ。
片言の英語しかこちらは話せませんけど、優しく接してくれます。
ブライアン・セッツアーの奥さんが、俺が作ったスマホケースを使ってくれていて、嬉しかったですね。憧れている人なんで、本当に嬉しいですよね。
ジョー・ストラマーにも、なんかしたかったなって思いますけど。
なんか自分が好きなバンドや人には、関わりたいっていう気持ちや、なんかやりたいって気持ちが自然に湧いてくるんですよね。そこは、お金とかそういうことじゃなくて、好きだからやりたいって思うんですよね。
ずっとカッコいい人が好きで、自分もそういうカッコいい人になっていたくて。どこまでなれているかわからないけど、年下の人たちからちょっとでもカッコいいと思われてたいなと。
~勉強が嫌いで、これをやれって言われたことじゃなくて、自らやっていたのが絵だったり、音楽だったりでしたね~
―音楽の方は、いつから始められたのですか?
16歳の時にバンドブームで。「音楽って聴くだけやないんやな、やってもええんや」って感じで始めたんですよね。あと、兄貴がバンドをやっていたので、その影響もありますね。
最初は『LAUGHIN' NOSE』のコピーとかをやっていました。
もともとバンドは好きで、当時の日本のハードコアパンクとかが最初の入り口で、『S.O.B』とか『OUTO』とか『赤痢』とか、あの辺ばっかり聴いていて。
でも1曲が高速で、めちゃくちゃ短くて。それで、「こんなんばっかり聴いてたら、普通の曲が聴けへんくなってしまう。」と思って(笑)。
いろんなバンドを聴いている中で、さっきの話にも出てきますが、『ストレイ・キャッツ』の金髪のどでかいリーゼントのジャケットとか、海賊版の『クラッシュ』のライブ映像とかを観て「そうか!」と思って、その辺から洋楽に興味をもちました。『クラッシュ』もすごい衝撃でしたけど、『ストレイ・キャッツ』は「ヤバいな」「こんなバンドやりたいな」って思いました。ここから、ちゃんとやりたい音楽が定まってきましたね。パンクとか、ネオロカビリーとか。
そんな感じで、勉強が嫌いで、これをやれって言われたことじゃなくて、自らやっていたのが絵だったり、音楽だったりでしたね。
~自分にとって楽しいと思っていることをやっているだけなんですよね~
―『THE EROTICS』(以下エロティックス)は結成されて何年くらいになるのですか?
そうですね。エロティックスは30歳後半くらいに作って、今15年くらい続いて。自分がやっているバンドで1番長いバンドになりました。
―どうしてエロティックスというバンド名になったのですか?
実はあんまり気に入ってないんですよ(笑)。俺は反対したんですけど、一緒にやっているメンバーから「1個1個がシンちゃんエロいよね」ってことを言われていて。自分では何がエロいのかわからないんですけど(笑)、それでエロティックスにしようってなって。
元々、エロティックスもそんなにずっとやるつもりで組んだバンドじゃないから、「まあ、いっか」ってなって。「あんま、しっくりきいへんな」と思いつつ、15年が経ちました(笑)。
昔からバンド組んだら、練習する前にバンド名とかステージネームとかをみんなで考えて盛り上がるっていうのが楽しくて。そういうのを決めているのが、バンドの醍醐味だなって思うんですよね。自分にとっては、1番楽しいところ。だから、自分にとって楽しいと思っていることをやっているだけなんですよね。
~縛られていないので、自由だけど、しんどさはありますよね。自分でそうしているんですけどね~
15年の間には、コロナもあって。俺はコロナの最中でもなんかやっていたいなと思っていて。でもハコ自体もやれなくて、エロティックスもあんまり動けなかった。
それでアコースティックの『出鱈目ギャング』ってユニットを始めました。アコースティックなんて今までやったことなかったんですけど、人数がいると動きにくいから2人くらいでできることやろうってことで、タノっていうバンドマンと始めました。
エロティックスはメンバーの事情もあってコロナ後もあまり動けませんでした。
でも俺は「エロティックスはコロナで終わったよな」っていう風には思われたくなくて。
「絶対、もう一回やるで」とメンバーにも言っていて。それで、昨年8月にOGIKUBO club Doctorで3年半振りにライブをやることができました。お客さんもたくさん来てくれて、楽しかったですね。ただ、まだそのあとはなんにも決まっていないんです。
でも、自分は他にも、いろいろ動き出しています。アコースティックもいいんですけど、やっぱりバンドを組まないと俺は嫌だと思っていて。自分がバンドマンでありたいという気持ちがあって。でもなかなか100点は出せないから、それを目指してずっとやっていくんだろうなって思っています。
結局、誰かに何かをやりなさいって言われてやるのが好きじゃない。勉強しなさいとか、音楽やりなさいとか言われてやった訳じゃないから。
縛られていないので、自由だけど、しんどさはありますよね。自分でそうしているんですけどね(笑)。
でも、何かを作って喜んで欲しいなっていうのは、絵でも、音楽でも、基本にあるかもしれないです。
自分が作ったものに対して、人が喜んでくれることが嬉しいっていう。
~それをやることに何の資格もいらないのが、この2つの良いところだと思うんですよね~
―すごいことをされているのに、全くえばっているような感じがしないのが本当に素敵だと感じます。
若い頃は自分が好きなもの以外の価値をあまり考えていなかったのかもしれませんが、今は自分が好きなもの以外のものにも価値があるんだろうな、それをいいと思う人もいるんだろうなと思うようになりましたね。
いろんな人がいていいと思うし。
えばるのは昔から苦手で。自分がやっていることに自信をもっていけばいいのかもしれないけど、そういう所は日本人気質なんだと思います。ちょっと遠慮してしまうとこもあるんですよね。
ブライアン・セッツァーに会った時も、もっとグイグイとフレンドリーにいけばいいのに、「いや、もうこれで」ってなっちゃって。そういうことができる人を羨ましいなと思うこともありますね。
―ずっとバンドマンでありたいと、先ほどお話にもありましたが、ライブハウスシーンとシンヤさんのやっているイラストは繋がりのある世界かと思うのですが。
絵と音楽というのは、共通点があると思います。イラストもバンドも、相手があってのことで、何かを見せる、何かを聴かせる、それで人が喜んでくれるものだと思うんです。
あと、それをやることに何の資格もいらないのが、この2つの良いところだと思うんですよね。
イラストを描くにも、バンドマンになるにも、自分が今日からやりますって言えばいい。そういうのが自分には合っていたんですよね。
あんまり、絵というのはこういうもの、とかバンドというのはこういうものという風になって欲しくない。むしろ、だれでもやっていい。
ブライアン・セッツァーのサイトでイラストが載った時に、絵を見たアメリカの人から、俺の絵を気に入ったから買いたいってメールが来たんです。日本の名も知られていないイラストレーターに、ですよ。
そういう価値観がすごくいいなと。
その人が売れている、売れていないとか、有名か有名でないかに関係なく、この絵が好きだから買いたい、このバンドが売れていようが売れてなかろうが自分が好きだからお金を払って音源を買うという価値観であって欲しいんですよね。
ずっとそれであって欲しいと思うんですよね。自分で判断して欲しいんですよね。
だから、テレビの番組とかで、誰かの曲を第三者が分析してどうこう言うのとかは好きじゃないんですよね。
俺は、美術館とかも走って回ったらいいと思うんですよ。走ってて、その途中でパッと立ち止まったのが、その人にとって1番いい絵なんだと思うんです。
音楽もそれぐらいのものであって欲しい。
サーっと聞いた時に、「あ、いいな」って思ったものを自分が好きになればいい。そういう感覚でいたいなと思います。
~優しくありたいですね。ロックやっているバンドマンとして、1番優しくありたいです~
―ライブハウスに来て、自分の好きなバンドを見つけて楽しんでいる人達もそういう感覚なのでしょうね。
ロックをひな壇に掲げるのではなくて、勝手に身に付いている人達なのだと思いますね。
ロックを普通に扱っているというか。
でもそれが1番正しい扱い方なんじゃないかなと思いますね。
大事に、大事に、じゃなくて、でも好きで愛していて。
男女の関係にも言えると思いますけど、自分が好きでその人と一緒にいる。だれかに良く思われたいから、その人と歩いているのではないと思うんですよね。周りはどうでもよくて、自分がどうかで。だから、どんな格好をしていようが、どんな風にしていようが関係ないんですよね。
―シンヤさんが今後見据えている次の目標はありますか。
最近考えるのは、幾つまでやっていられるかなってことなんです。
ジョー・ストラマーも50歳で亡くなっていて、それ、俺は超えたなとか思ったりした時に、あと何回ライブができるかなとか、あとどんだけ絵が描けるかな、とか。
自分も楽しんで、人もそれを喜んでくれるようなものがいくつできるだろうな、とか。そんなことを考えるんです。
なので5年後、10年後もずっとそれを続けられたらいいなと思っています。野望というよりも、ずっとやっていたいですね。ずっと今のままは難しいかもしれないですけど。
あとは、憧れている人、ブライアン・セッツァーだったり、ジョー・ストラマーだったり、その憧れの人のラインまでは無理だけど、ずっとやっている人達だから、自分もそうでありたいですよね。
あと、俺がいいなと思う人はみんな偉そうにしてないんですよね。俺の方が上だとか、下だとか、もちろん年齢的なことはあるのかもしれないですけど、そういうのもない人たちなんですよね。
昔、ジョー・ストラマーが亡くなった時にブライアン・セッツァーのサイトで、ジョー・ストラマーに向けてのコメントが出ていて。2人は仲が良かったんですよ。2人とも絵とアメ車が好きで、一緒にドライブ行ったり、絵を買いに行ったりとかよくやっていて。
その中で、2人が飲んでいる時の思い出に、ジョーに「お前の方が、歌も上手いし、ギターも上手いけど、俺はお前の上でもないし、下でもない」って言われたことを俺は覚えているって、ブライアン・セッツァーが言っていて。
すごくいい関係性だなって思って。
そこに優劣をつけない。
ロックってそういうものだと思うし。絵もそうで。結局は、それを使って誰かを喜ばしたり、楽しませたり、熱くさせたりするためのものであって。
だから、そういうことをずっと続けていられたらいいと思うし、俺らよりも年下の人たちにも理屈で音楽はやって欲しくないし、理屈で絵もやって欲しくない。
俺らよりも年上の人たちも、俺らも、年下の人たちも、という感じで引き継いでいって欲しい。
変に着飾っているものであって欲しくなくて。だから、自分があぁなりたい、こうなりたいことよりも、その一部でありたいですね。
継承ですね。かっこよく言えば。
ちょっとかっこよすぎたかもしれないですね(笑)。
優しくありたいですね。ロックやっているバンドマンとして、1番優しくありたいです。
インタビュー後記
穏やかで優しい声と話し方。関西弁だが、京都の風味がまたその心地よさを引き立てる。そして男前なルックスでセンス際立つファッションをさらりと着こなす。
バンドのメンバーから「エロい」と言われたというのも納得するセクシーさを保ちながらも、振る舞いにはその人柄の温厚さがにじみ出てくる。
しかし、その穏やかさとは裏腹に、歩んできた人生はやんちゃ。ただのやんちゃではない。
誰もが1度はしたことのある教科書の落書きにポリシーをもって臨むようなこだわりの深いやんちゃだ。
そして、少年時代からもち続けた「どうやったら、センス良く、人を楽しませることができるのか。」というポリシーは今もなお変わらない。
そのポリシーのまま、絵にも音楽にも真摯に向き合う姿が今回のインタビューからも垣間見えた。
尖った部分はより鋭く磨きながらも、必要のない角はしっかりとそぎ落とした洗練されたロックンローラー、といった印象を受けた。
そんなシンヤさんを導くものは何か。
今回のインタビューの中で「その人の中に偉大なる人物がいる」という点に深く心を動かされた。
シンヤさんの中には、ブライアン・セッツァーとジョー・ストラマーがしっかりと存在しているのだろう。
「その人なら、、、、」と考え、自分なりの答えを出し、行動に移していく。それは、決して模倣ではない。
自分自身で考え、昇華された形で表現されていく。これがいわゆる継承のひとつなのだろう。
ロックンロールの継承。
偉大なる先達が灯したその炎を、自分の中にも絶えず燃やし、自分の灯が自分の周りにいる誰かの心の中にも灯り、その人を照らしていく。その誰かの灯で、さらに自分も照らされていく。そんな正のループが、この音楽の世界では夢物語ではなく起こっていることをシンヤさんの話から感じることができた。
継承の一部となり、「絵を描き続けたい」「バンドマンであり続けたい」「優しくありたい」というシンヤさんの夢は、これからもたくさんの人の心に温かな灯となって届いていくことだろう。
Special Thanks:ヒロタテツ